半匿名的ソーシャルにより個の評価は時間を超越する

ネットを見ていると, 5年前くらいの少し古めの記事に出会う. Google Chrome拡張機能によって, その記事をブックマークした人たちのコメントや, その記事に関してツイートをした人が瞬時に分かる.

すると, 今現在Twitterにてフォローし, 呟きを見ている「あの人」が, 3年前にこの同じ記事に関してツイートをしている, なんてことが実際にあったりする.

これは「実にスゴイこと」で, 半匿名的ソーシャルだからこその現象であろう.

例えば書籍を考えてみる. ある書籍を誰がそれまで読んだのかは基本的に分からないし, その書籍についてどう思ったかなどは知るすべもない(大学の書籍への書き込みを許さなければ!). 良書であると先生に薦められたならば, その先生のその書籍に対する評価は知りうるが, 精々その程度である.

書籍に限らず, 「モノへの評価」といえば, Amazonのレビューを思い出す. ところがアレは基本的に匿名である. いや, ハンドルネームは入るが, それが今のネット上の個と繋がらない(にくい). 2chなら尚更で, 完全な匿名性のもとでなされた過去の評価と現在の個を繋げることはできない.

ところがTwitter, そしてHatena Bookmarkは様子が違う. それらには半匿名的な個が存在する. idは変えないのが通常で, 実際に, ネット上に「個」が存在する. ツイートやブックマークは永続的に残り, 検索可能な状態で蓄積する. それは過去の彼のみならず, 現在の個と結びついた形で再現する.

ブログでも同じことが言えるかもしれない. ただし, 自分の経験上, 同じ体験をブログ記事に関してすることは稀である. 理由ははっきりとは分からないが, そもそも他のネット上のソースについてブログに評価を綴ることが少ないからかもしれない. Twitterみたいなお手軽なものがある現代において.

先程も, 物理学に関してあるサイトを見ていたら, そのサイトについて「意外な人物」がツイートしているのを発見し, 多少なりとも嬉しくなった. 「現在の彼」を「知っている」からそのように(「意外な」)評することができるわけで, それはネット上の個の連続性の仮定のもとに成り立っている. そして, いわゆる「マイナーな良記事」であればあるほど, その喜びは増すのだ. リアルの個は情報が多すぎる. 多すぎてその人の過去もどんどん見えてしまうほどだ. それでは, その人の過去の評価との出会いに新鮮さはない.

ブックマークが「後で読み返すためのツール」に留まっていたのはもはや過去のこと. 「ソーシャル」の名を冠することでそれは知の拡散と共有のみならず, 時間を超越して半匿名個による評価を伝達する媒体となったのだ. 但し, 5年前が「少し古め」になってしまうネットの上で, その情報が本当の意味で恒久的に伝達するかどうかは更なる議論が必要であろう.

[追記:date=2012/02/24] 「半匿名」と書きましたが, 正式には「顕名」と言うらしいです. 知りませんでした.[/追記]
[追記:date=2012/02/24] 学部の実験の参考書を大学の図書館で借りると, 一年前の似たような日に借りた形跡があり, にやにやしてしまいます. あれは相手やその評価は見えないのに, その行動や心理が垣間見え, 勝手に共感してしまうからですね. (具体的に言うと, 「実験のレポートがやばい」みたいなw)[/追記]