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映画『楽園追放 -Expelled from Paradise-』を観に行きました

映画

話題沸騰中のアニメ映画、楽園追放を観に行きました。場所は京都イオンモール5FのT・ジョイ。劇場の客入りは8割程度といったところでした。13:00からの回で観て、あまりに面白かったので再度チケットをとり、15:10から二回目観てしまいました。二回も連続して観てしまうほど、面白かったのです。

ジャンルとしては電脳化サイエンスフィクションと言えばいいのでしょうか。あまりこのジャンルの作品には詳しくないのですが、ゼーガベインとかがここに類別されるのでしょうか、しかし残念ながら、私はゼーガペインは見ていません。他には攻殻機動隊とかでしょうか。残念ながらあまり覚えていないんですよね。いずれにしても、ここまで電脳化の進んだ世界を描いた作品は初めて見たと思います。ヘッドマウントディスプレイによりリアル・ワールドと電脳世界を重ねるみたいな作品はいっぱいあるんですけどね。

本作は、何よりもまず、おしりの素晴らしい作品でした。おしり!おしり!なんでこんなにおしり丸出しなんでしょう。ビビッドレッド・オペレーションというおしりアニメの名作さえも軽く超えてきた本作のおしりの露出度は、羞恥心を削がれた彼女たちに同情の念を抱かせるほどでした。ロボットアニメのスーツがおっぱいを目立たせるようなデザインなのは古来よりのお約束ではありますが、おしり丸見えにしてしまうとは畏れ入るばかりです。こんなことばかり言っていますが、正直に言うとおっぱいに関しましては、乳首が見えるように描いてしまったのは良くなかったと思います。そのシーンを見た時に若干引いてしまいました。おっぱいアニメと言えば聖痕のクェイサーとかハイスクールD×Dなどが思いつきますが、これらのおっぱいをコンテンツとするアニメと同等にしてしまうには本作はもったいないと思います。偶然右隣に女の子のカップルが座っていたのですが、「あのおっぱいで意外とアダルティーな作品なんだなと思った」という感想を吐いていました。乳首に頼らなくても十分に素晴らしい作品なのに、乳首を描いてしまった上で不当に評価を下げているような気がしてなりません。もう少し性的表現を減らして、サイエンスフィクション好きな高校生にも見せられるようにしたほうが良かったかもしれません。

本作の主人公アンジェラ・バルザックは、受精後まもなくして電子データ化され、パーソナルデータとして電脳世界の中で育ちました。電脳世界の描写は実に興味深く、考察せざるを得ません。サイエンスフィクションなので無粋なツッコミは不毛ですが、それでも理系としては突っ込まざるを得ないところもあります。電脳世界は、簡単に言うと大きなコンピューターのようなものを想像すればよいでしょう。そのコンピューターの中の演算により、電脳世界がシミュレートされ、電脳化された人間たちや、彼らの思考や知覚さえも、コンピューターのメモリーの変化に過ぎません。しかし、そういうシステムは本当に可能なのでしょうか。

ディーバで行われている演算は、古典計算機による古典系のシミュレーションであると想像できます。量子計算機では量子系の強いシミュレーションは難しい(厳密な意味でハードである)ことは、すでに証明されている事実です。これを認めますと、ディーバで使われているのは巨大な古典計算機と考えるのが筋でしょう。補助的に量子計算機が使われているかどうかは知るところではありませんが、シミュレーションの対象は古典系に違いありません。そうしますと、現在地球上で起きている全ての現象はシミュレートできないはずです。例えば人間の脳の発達。専門家ではないので細胞の分裂や脳シナプスの情報伝達にどこまで量子的な過程があるか知りませんが、全て古典系であるとは言えないでしょう。人間の脳の成長という最も倫理的に重要な部分がきちんとシミュレーションできないのであれば、安住の地としての役割は果たせないでしょう。

恐慌政治による統治は本当に楽園なのでしょうか。ディーバのやり方、向上心のないパーソナリティーは凍結されるというやり方は、とても楽園には思えません。私達の想像する楽園とは、例えば毎日遊びまわったりゲームをしまくったり美味しいものを食べたりそういう快楽を享受しながら社会生活を送ることができる、そういう社会ではないでしょうか。しかしディーバにおいては、所詮食料と環境の問題を解決したくらいで楽園を自称しているのです。人口爆発?メモリーが有限で社会に不要な人は凍結される社会で、一体人口爆発の何が解決されているのでしょうか?それって現代風に訳すと「役に立たない奴は食料を与えるに価値がないから殺す」と言っているようなものですよね。これは歴史上の如何なる社会でも無いほどの、恐慌政治ではないでしょうか。今の地球上では、独裁国家は少数派です。昔そうだった国がうまくいかなくなったケースもあります。そういう歴史を考えますと、ディーバのようなやり方で「楽園を永遠に」なんてことはとてもうまく行くようには思えないのです。人間を受精後まもなく本人の意志に関わらず電子データ化し、全ての人間をデータとして処理するという、本当の意味での支配が行われている社会が、楽園とは思えないのです。

ディーバにおいて、犯罪は可能なのでしょうか。映画の冒頭で言い寄ってきた男は主人公に「友達とメモリーを持ち寄ってプライベートマップを共有してるんだ」と耳打ちしており、彼女がシステム保安員だと分かると後退りしています。どうやらプライベートマップを共有していることが、後ろめたいようです。システム保安員に通報されてはスクラップされるのではないでしょうか。もしそうだとしたら、なかなか面白いことです。男のプライベートマップをレンダリングしているのはディーバ自体なのに、ディーバはそれ上で行われている犯罪を見逃しているのですから!ディーバの上で監視の目を避けることが可能かどうか、面白い問題です。

フロンティアセッターが100年以上もの歳月をかけて作り上げ、打ち上げたロケット。エンジンがいくつもある形は、ソ連の嘗ての有人月旅行計画で開発されていたロケットを思い出さずにはいられません。大きなエンジンは燃焼気体の気流が安定しないことが当時から知られており、ソ連のロケットでは小さなエンジンをいくつも使う方法が取られていました。しかし、多くのエンジンを同期させるのは技術的に困難な課題であり、結果的にソ連の計画は、大きなエンジンの気流を安定化させることに成功したアメリカのアポロ計画に敗北します。ロケットのデザインを決定するにあたってソ連のロケットを参考にしたに違いありません。そうであれば、それを採用した理由についても考えるべきでしょう。ディーバは能力主義で監視社会でもあり、アメリカっぽさを彷彿とさせます。ただし、ディーバの恐慌政治は現実のアメリカの民主主義政治とは乖離したものではあります。フロンティアセッターの作る世界がどのようなものかは描かれなかったので、どのような政治が行われるかは分かりませんが、多数のロボットを労働者のように操り、外宇宙探索のための宇宙船まで完成させてしまうフロンティアセッターは、独裁者としての素質があるでしょう。そうしますと、社会主義国家へのある種の憧憬の念が込められているのかもしれません。少なくとも、ロケットのエンジンのデザインに現在使われているような大きなエンジンを使わなかったのは、意図的であると思います。これは余談ですが、発射台は崖から飛び出ていましたが、重力圏を離脱するロケットの反動に、あの形の発射台では耐えられないと思います。

フロンティアセッターの存在は、非常に興味深いものです。

「私は私としか定義できません」

「それが私の存在証明です」

アンジェラは、システムに管理者権限を要請するときや、地球から帰還するときに必ずIDを言っています。ディーバはおもしろいことを言っています。「IDとパーソナルデータの認証を確認」ってえっ?ああいう世界で、自分のIDを覚えていなきゃいけなくて、それを空で言えるようにしておかなきゃいけないってあり得ないですよね。しかも冒頭のシーンで男がいる前で自分のIDを言っているので、特に隠さなくてはいけないものでもないようです。システムはなぜパーソナルデータだけで認証できないのか、不思議でたまりません。


人間の定義

ロボット三原則

(ごめんなさい、もう少し書きたいことがあるのですが、残りは後で書きます。)

なかなか考察したくなる項目がたくさんあり、おもしろい作品です。何度も見たいのでBDを注文してしまいました。