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ほめられて伸びてきた世代のSNSにおける女装及び幼女化の動機について

中学や高校では100点満点の絶対的な点数評価であったためすっかり忘れていたのだが、小学生の頃の通知簿(あゆみと言われていた)は三段階評価、優・良・可であった気がする。最近、『人類は衰退しました』というラノベ原作のアニメにも出てきていた、「ゆとり教育」だ。成績が悪くても「可」、よろしい、頑張りましたねというわけである。小学校低学年の頃は、隔週で土曜日は午前中に授業があったが、高学年になるとそれもなくなってしまった。尤も中学高校になると、毎週土曜日に授業がある形になってしまったので、決してゆとり世代とは自分を言いたくない。


しかし、一貫して「ほめて伸ばす」環境だったと思う。少なくとも自分の居た環境はそうだった。小学生の頃は、算数の授業でひたすらロッカーの上にある計算プリントを消化するバトルが繰り広げられていたのだが、いつも友達と一位二位を争っていた。早く終わらせれば、クラスのみんなに対する先生役を任され、教えると感謝されたし心地良かった。中学や高校ではやはり「頭のいいやつ」というのは目立ったし、半数のものはそれになろうと必死だった。英語の先生は9割以上の点数のものの名前を公表していたし、数学や国語、化学もそのような感じだった。良い点数をとれば、クラス中にいい顔をできたのだ(それを妬むような人間が入ってくるような学校ではなかった故だろう)。


そのようにしてきたものだから、「頭いいね」「これ教えて」などという言葉は言われ慣れていたし、毎回嬉しかった。そう言われることを励みに、或いはそう言われようとして勉強をしていたのかもしれない。もちろん、自分より頭のいい人間などは学校の中でも何人もいたし、全国の中での自分の低い立ち位置などは百も承知だったのだが。


近年、SNSなどに見る、一部の大学生や高専生の幼女化や、女装クラスタの存在は、結局のところ「ほめて伸ばす」教育のせいなのではないか。SNSなどでは顕名個を、ある程度自分の好きなように仕立てることができる。ほめられて生きてきた人間は、現実の充実感とは別に、ネット上の顕名個としてもやはりほめられ欲を満たそうとしてしまう。それは具体的にはファボられる[1]快感であったり、ブックマークされることで得られる充足感であったりする。そして、ある者は周囲の人間の嗜好(例えば幼女は可愛い、女子高生の制服は可愛いなど)を汲み取り、言葉を幼稚なものにし、或いは女装をすることで、可愛いと言ってもらう快感を得るのだ。或いは、他の者がそういう行為に走っているのを見て、その人のほめられ欲が充足される(例えば多くのファボを得られている)ことに対する羨望が、羞恥心を凌駕した時、恰も弟子入りでもしたかのような気分になって模倣してしまうのだ。そして、実際に周りの人間の嗜好の対象となることの快感を覚えた時、心情の相転移が起きて、躊躇すること無くそういう行為を働くようになるのだ。ネタポスト、パクリツイートとて然りである。


結局のところ、大人が眉をひそめるような行為はこういうことなのかもしれない。彼らはほめられる快感を駆動力に勉強してきたのだ。別に見守ってくれとは思わないが、彼らがそれを好きで続けているならそれはそれでいいのではないだろうか。いずれ黒歴史となるやもしれないが、彼らが顕名個を闇に葬った折には、現実には殆ど影響のないことになってしまうのかもしれない。


この点に於いて、嘗ては「自らの性的欲求を自分にぶつけて快感を得ているのだ」と思っていたが、それは間違っていたため、こういう形で改めておきたい(そういう人間がいることは置いておく)。尚、公然で女装する人間がいるのは、また少し別の話である。


[1] ファボ(名)、ファボ・る(動ラ五) SNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)の一つであるTwitterに於いて、他の人の投稿を、お気に入りに登録する行為、またはそれをすること。投稿の近くにある☆をクリックすることで、ファボることができる。好意が転じて、同意や羨望、自虐への慰藉など他の感情表現に用いられたり、記念や保存として使用されることもある。受け身の「ファボられる」や、ひらがなの形でもよく使われる。語源は英語の「favorite」。


※ このエントリーは「凌駕」「相転移」という言葉を用いて例文を作れという問題への答案であるが、筆者の国語力の不足により満点もらえなかったので、そのことをここに記しておく。