スマホが割れた日

その瞬間は、前触れもなくやってきた。

いつものように、仕事帰りに烏丸御池の交差点で信号待ちをしていた。ちょうど赤に変わったタイミングで時間があったので、スマホでニュースを眺めていた。信号が切り替わり、そろそろ渡ろうとしてスマホをポケットにしまおうとした瞬間だった。左手と右手がいきなりぶつかり、右手の力が緩み、スマホは宙に舞った。

何が起きたのか自分でもわからなかった。はっと我に返ったら、スマホは硬いコンクリートに打ち付けられていた。

一体左手で何をしようとしたのだろうか、今となってはもう思い出せない。右手に痒みを感じて掻こうとしたのか、スマホを左手に持ち替えようとしたのか、あるいはゴミが入った目を掻こうとしたのか。両手が別の目的を持って動線を描いた結果、衝突してしまった。

精密機器がコンクリートにぶつかる瞬間、明らかによくない音がした。すぐに拾い上げて状況を確認したが、画面には無数のひびが入り、悲惨なものだった。全くなんでもないですよ、最近のスマホは衝撃には強いんですよと、周囲の人に心配されないよう冷静を装いながら横断歩道を渡ったが、画面の割れたスマホを握る手は震えが止まらなかった。

家に帰ってから改めて詳細に観察してみた。画面はもう見るも無残な姿だった。インクを流して蝶の羽根に見立てるのも悪くないアイディアだ、それくらい無数のヒビが走っていた。しかし枠は意外と無傷だった。いや、ほんの少しの傷はついていたが、枠が地面に当たったとは思えなかった。おそらく画面を下にして落下したのだろう。何よりもの救いだったのが、画面が割れた以外は、動作に全く問題がなかったことだ。落ちた直後に拾い上げたときも電源はついたままだったし、画面が割れていてもタッチパネルの操作は通常通り行うことができた。ただ、画面から少し変な油の臭いがした。

暫くの間、様々な思いが頭を駆け巡った。二年間大事に扱ってきたものを、一瞬の不注意で落としてしまったことが悔しかった。あの瞬間、なぜ両手がぶつかってしまったのだろう。反射的に足で受け止めていれば衝撃は和らいだだろうか、本当にインクを流してやろうか、流石にこの見た目はお客さんに会うときには恥ずかしすぎるな、自分でネジを開けて交換して直そうか、細かい紙やすりで削ったらちょっとはマシになるのではないか、新しい機種が出ているわけだし自分で直してうまくいかなければ新しいものを買えばいいんじゃないか。

シャワーを浴びながら様々なことを考えたが、改めて机の上においている無残な画面を見て、餅は餅屋、根は張るかも知れないが専門家に任せるのが一番だと言い聞かせて、修理の予約を取った。なんだ、ジーニアスバーだなんて小洒落た名前をしているじゃないか。

快晴だった。阿蘇山の噴火のニュースを明け方まで聞いていて、よく眠れなかった。2万円までは払う覚悟で銀行でお金を下ろし、阪急電車に乗った。帰省の時くらいしか使わないから、夏の盆以来だった。土曜日の昼間にも関わらず、満席で立っている人も多かった。

いつもならスマホでニュースや技術ブログを眺めるところだったが、画面の割れたスマホを電車の中で見るのはなぜか自分が許さなかった。未成年での飲酒は流石に良くないんじゃないかと無粋なツッコミを入れながら、新海誠の作品を読み耽った。孤立感と憧憬、美しい女性たちの繊細な心情描写にすぐに惹き込まれていった。

梅田は久しぶりだった。いつも帰省のときには十三で折り返してしまうし、そもそも梅田に用事があるなんてことはなかった。もしかしたら就活でスカイビルに来て以来ではないか。そう思った瞬間、就活の時の様々な嫌な思い出が蘇り、慌てて心から追い出した。もうあの頃の自分とは違うんだ。

予約時刻までしばらく時間があったので、ヨドバシで暇を潰すことにした。京都でもそうなのだが、ヨドバシに入るとまず必ず地下一階に降りる。ラップトップなんてめったに買わないものだし相場感覚が分からなくなるものなので、たまにはこうしてスペックや価格を眺めて歩くのだ。SONYのラップトップを片手で持ち上げてみたり、こんな薄いものに未だにLANポートを作る技術に感心したり、いつまでも変わらないメモリー容量に落胆したりした。少し奥まったところに自作用のパーツも並んでいた。自作PCというのは作ったことないのだが、ラップトップのHDDをSSDに交換したときから、部品の価格にも目を向けるようになった。

京都のカメラコーナーは一階なのに、梅田は二階なんだなと呟きながらエスカレーターを登る。特に買いたいものはないのだが、唯一持っているNicon 1用のレンズは欲しくなることがある。財布に入っている現金で買えるのではないかという邪念を振り払い、カメラコーナーを後にする。途中で円偏光フィルターが目に止まった。大学で量子力学をやっていたものだから、偏光板や波長板などは研究室に身近にあった。円偏光を直線偏光にして偏光板を通して… あんなに一所懸命研究したのにだんだん記憶があやふやになっている。必死にBloch球に右円偏光と左円偏光を配置する。大丈夫だ、まだ思い出せる。このフロアの中でこのフィルターを量子現象として説明できる者は他にはいまい。なぜか勝ち誇ったような気分でヨドバシを後にした。

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陽射しはいよいよ増していた。道端に銀杏が落ちていなければ、夏かと勘違いするような暑さだった。タワークレーンにレンズを向けてみたが、こんな陽射しの中じゃ新海誠にはならないな、そんなあたり前なことを思いながら南下した。地下鉄で6分だと書いていたので、徒歩でのんびり行くことにした。

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大阪の地理には疎い。神戸に生まれ育った身として三宮の商店街の店には多少詳しいのだが、なんせ大阪まではでてくる機会すらなかった。だから心斎橋とか難波とか言われても位置関係はわからないし、大阪城にはどうやって行けば辿り着けるのかも知らない。しかし、今日の目的地はとにかく御堂筋を歩いていけば着くはずだ。道路標識が、和歌山へと続く道だと主張していた。陽射しの中で歩いていると気分も明るくなり、和歌山には行ったことないな、いつか行ってみるか、そういう気分になった。

大江橋淀屋橋を超えると金融街に入る。銀行支店が道に並ぶ。伏見町はここにもあるのか、水が良いところには酒蔵があると聞くがここはどうなのだろうか、道修町というのはどうしゅうではなくどうしょなのか、難読だなぁとか、1ブロック渡るたびに新しい発見がある。

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本町通を超えて阪神高速をくぐると、また街の景色が変化する。フランク・ミュラーエルメス、スワロフスキー、オメガ、カルティエルイ・ヴィトン。畏れ多くも店の入口に店員が待機していて入ろうものなら扉を開けてくれる親切なお店が立ち並ぶ。夏なんかはあそこに立つのは暑いだろうなぁ。スーツくらいきちんと決めていつか行きたいものだな。そんな風に思って通り過ぎていると、短パンジーンズ麦わら帽子の兄ちゃんが彼女らしき人物を連れて出てきたりしてずっこけそうになる。

心斎橋はおそらく生まれて初めて来た場所だ。高級ブランド店の並ぶ北側よりも、心なしか南側のほうが活気があるようにみえる。人の交通をうまく交わしながら、目的の店へと足を運ぶ。

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店内は混雑していた。店員の数と客の数が1:1くらいなのではと思うくらい、店員がたくさん働いていた。それでもどの店員に声をかけたらいいものかよく分からず、しばらくうろうろしていた。サポートは二階だと聞かされ、オシャレな螺旋階段を登った。

二階も同様に混雑していた。なぜか電源がつかないとかパスワードが分からないとか様々な事情でここに来るんだろう。一時間ほど歩いてきたので少し汗をかいており、座るのが憚られた。しかし、予約時刻を過ぎてもなかなか呼ばれず、貧血で倒れそうになり、仕方なく隅の方に座らせてもらった。

しばらく観察していたが、様々な人が働いていた。男性で長髪の人も、背が高い人も、韓国語や中国語が流暢な人も、足の不自由そうなスタッフもいた。上はみなスタッフのシャツを着ていたが、下はジーンズが多かった。そういう企業文化なんだろうなぁ、いいことだと思った。それにしても少し混雑しすぎていないだろうか。

対応してくれたのは、自分と同じくらいの背丈の男性だった。どうやら3500円ほどで画面の交換をしてくれるらしい。2万円は覚悟していたから、かなりありがたかった。一時間後にできますと言われたので、再び街に散歩に出かけた。用を足したかったので東急ハンズに入り、申し訳程度にボールペンを購入した。一階はすっかりハロウィン模様だった。作りたてのポップコーンの臭いに吐き気を感じながら、その場を離れた。

心斎橋は東西に地下街が発達していた。もう夕方だが今日は朝食をとったきりだったし、一時間ほど歩いたので空腹だった。昼夜兼用にしてしっかり食べよう。学生の頃なら牛丼屋で済ませていたんだろうな。そんなことを考えながら、店を選ぶ。西の端から東の端はかなり距離があり、地下街を歩くだけでも疲れてしまった。地下街の方向と東西南北が数度ずれているのがとても気になった。

結局、東端にある洋食屋を選ぶことにした。少し照明を落としており、こじんまりとした店だった。セットを頼んでから、また新海誠を読み始めた。いい具合の照明と、店内にかかるショパンのワルツが、物語を趣深く装飾してくれて最高の気分だった。中華料理屋を選ばなかった自分を密かに褒め称えた。ハンバーグがとても美味しくて、どうやって作ったのか聞きたいくらいだった。ご飯はおかわりできると案内されたが、ガツガツ食べる気分でもなかったので遠慮してしまった。

人通り忙しない商店街を抜けて、また店まで戻ってきた。数分したら、修理されたスマホが出てきた。間違いなく自分のスマホだったし、それはもう見事だった。素人が開けるときにつけがちなドライバー傷もなかった。保険がなかったら1万を超えていたという。これを修理してくれた技術者は、経験を積み、腕の立つ、顧客の製品を修理するという責任を負うことができる人間に違いない。それは素晴らしい仕事だ。対応してくれた人に対価を払いたい。保険は対価報酬の関係を不確実なものにする。そんなわけの分からない思考も、御堂筋に吹く秋風に飛ばされて、心は澄み切っていった。

もう梅田まで歩く体力は残っていなかったので、帰りは御堂筋線に乗った。ホームボタンが少し固くなっていたり、タッチパネルの滑りが少し悪くなっていることも、部品が新品である証拠だった。あのヒビの入った画面とはもうおさらばなのだ。いつもは必死にタイムラインを消化するのだが、そんな気力もなかった。

阪急京都線に乗り座席につくと、疲れがどっと出てきた。対応してくれた店員の笑顔、一週間は予約がいっぱいだと聞かされて唖然としているおじさん、洋食屋で手をそっと添えてお釣りを渡してくれた店員、修理を待つために店内で座り込んでいた中国人たち、限られた時間内で修理しなければいけないという使命を負って仕事をしている技術者たち、高級宝石店の扉の向こうに立っていた執事のような人たち。色々な人生や考えを想像し、その立場に立って見える風景を思い描きながら、電車の心地よい揺れに誘われ、眠りに引き込まれていった。